今回はぱうぜさん(@kfpause)に教えていただいた、平野啓一郎さんの著書『私とは何か 「個人」から「分人」へ』について。



個人とは?

まえがきでいきなり引き込まれました。





この本の考え方は(わたしにとって)とても新しいです。まさに、その発想はなかった!という気持ちです。

個性とは、本当の自分とは、仮の自分とは、と言う悩みに対する新しい可能性を提示してくれます。



いきなり引用ですが、グッときたもので。



日本語の「個人」とは、英語のindividualの翻訳で(中略)individualは、in+dividualという構成で、divide(分ける)という動詞に由来するdividualに、否定の接頭辞inがついた単語である。individualの語源は、直訳するなら「不可分」つまり、「(もうこれ以上)分けられない」という意味であり、それが今日の「個人」という意味になるのは、ようやく近代に入ってからのことだった。


ここに、個人という言葉の根本があります。



分けられない個人、たった一つの個人。故に、個人の本質は一つであり、時と場合によって変わる部分は仮のペルソナだという論へとつながります。





分人とは?

しかし、平野さんはその考え方に違和感を感じます。

そして、創作を通じて考えた末に行き着いたのが『分人』という概念です。

またもやまえがきからの引用です。

一人の人間は、複数の分人のネットワークであり、そこには「本当の自分」という中心はない。
個人を整数の1とするなら、分人は、分数だとひとまずはイメージしてもらいたい。
私という人間は、対人関係ごとのいくつかの分人によって構成されている。そして、その人らしさ(個性)というものは、その複数の分人の構成比率によって決定される。

複数の分人のネットワークからなる自分。分数のような分人からなる自分。この考え方が心の琴線に触れました。

まるで人間の脳の働きのようですね。脳内にはたくさんの情報があって、それらがネットワークでつながっているといいます。それと同じように、分人がお互いに作用して統合的に自分を作り出している。そんな感じでしょうか?

こういう話を読むと、個人の境目が曖昧になる未来が想像できます。攻殻機動隊のような世界では、どこまでが自分の分人か分からなくなりそうですね。

そこまで行かなくても、会社なんかもある種の個人と呼べそうです。たくさんの分人=社員がネットワークを構成して一つの意思=理念を実践するのですから。

第一章を読み終えたところですが、いろんな考えが頭をよぎります。